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第117回 「東京禅僧茶房(禅僧トーク)」散策会(09/03/07)

 コース:禅僧茶房(禅僧トーク)

 参加者:ほーりー(幹事)、葉月さん、ミモザさん、あねこさん

禅僧トーク
禅僧トーク


■禅僧茶房(禅僧トーク)

 築70年の古民家の座敷のなか、禅僧トークは三人の僧侶と正座した聴衆が向き合うかたちで行われました。中心に座っておられるお坊さんが主な講話を担当され、両脇の方々が話題に関連したご自身の体験などを補助的に語られましたので、多面的に修行の様子などが伝わってきました。

 聴き手の理解を促すために中心の僧侶が用意なさったのは、お手製の「パラパラ漫画」でした。厚いページを親指から滑らせて早回しで繰っていくと絵に動きが出てくる、例のものです。この工夫によって語られようとしていた禅の精神は、全体性と部分の関係だと思います──つまり、一コマ一コマをゆるがせにしないでいてこそ起伏に富んだ展開が演出されるのだけども、それぞれのコマは全体の動きのなかでこそ意味をもつ、ということです。

 そしてパラパラ漫画の厚いページも、指で繰るという動力因が働かなければ静止したままの絵にすぎないように、われわれのライフも前後の因果作用があってこそ、一コマ一コマにつながりが生まれていきいきとした躍動感がもたらされる、というわけです。

 こうした大局的な見地に立って自分自身のありようをかえりみてみれば、利己心からいっとき解放され、おのれを今こうして成立させている境遇に改めて畏敬と感謝の念が湧き起こってくるきっかけとなる、ということでしょう。

 このように全体性のなかの一点としての自覚が重んじられる思想は、修行にも反映されているようです──それは、掃除や炊事といった日々の生活のなかの単調な作業にも、丹精込めて当たる、ということから始まります。坐禅や勤行といった僧侶独自の修練に加えて、あらゆる日常の課題にそのつど集中していけば、やがて自我を小さくしていける、というわけです。食事や睡眠を極限まで切りつめて、生の基本に立ち返る修行も、この、自我をできる限り縮小する試みなのでしょう。

 以前、治療目的で断食道場を運営している医師が、節食の精神的効用を雑誌で語っていたのを思い出します──それは、飢餓に近い空腹感で心が圧倒されているかぎり、他の悩みを忘れられて気持ちがラクになる、という所見でした。選択肢が多すぎてつねに迷いの渦中にある今日、ときには私たち常人も、生命維持の基本に思いを馳せて心を無にするリセット体験が必要なのかもしれません。

 でもその場合、世俗の人間にとって、全身全霊で事に当たるべき目前の課題とは何でしょうか。日々の雑事は、ほんのいっときに限られています。お経が口をついて出てきたら最後、その流れに意識を任せて雑念を払うことができる僧侶が、その点少し羨ましいところもあります。もちろん、こうした読経にしても、長く厳しい自己鍛錬に裏打ちされてこそ可能になるわけですが。

 正式な講話のあとも、よりカジュアルな雰囲気のなか一人のお坊さんを囲んで、禅の習慣をめぐるさまざまなお話を伺う機会に恵まれました。お経を唱えておられる時「口が勝手に動く」実感や、ご自分のパートにひたすら専念されるお心模様など、日頃触れることのない世界を垣間見せていただき、誠に充実した時間でした。

 いよいよ茶房をあとにするとき、時計を見たら二時間も経過していたことを知って、ほんとにあっという間だったなーと思いました。

(レポート:ミモザさん)



■禅僧茶房(禅僧トーク)

 曹洞宗の若手僧侶で構成される「Shojin Project」が、仏教を気軽に体験できるカフェ『禅僧茶房』を期間限定でオープンするというので行ってきました。

 お店はまさにWBC日本対韓国の一戦が行われる東京ドームのすぐ近く(余談ですが、終わったあとに東京ドームの方へ雰囲気味わいに行ったら、かなりの熱狂ぶりでした)。そして店内に足を踏み入れると、袈裟を着たお坊さんがたくさん! これはWBCに負けない熱いテンションです。

 そして葉月さんは着物姿で登場。熱いテンションは天井知らずです!

 今回お招き頂いた長岡さんなどに挨拶をして、時間が来ると早速禅僧トークへ。カフェの2Fが会場となっているのですが、こちらは小さなお部屋ながらもたくさんの人が集まっていました(周りを見渡すと、散策会の方も何人か来てました)。

 そして禅僧トークには水谷幸寛さんというお坊さんが登場。内容は「縁・つながり」というものの大切さについて。仏教が説く「縁」について、そして水谷さんが考える「縁」について。堅苦しいだけの法話とならないように気を配られたお話で、楽しく拝聴することができました。

 中でも見どころは、作務衣を着てタオルを頭に巻いたオリジナルキャラクターの「サムタン」が登場するパラパラ漫画(制作時間8時間の大作!) 会場に一気にうちとけた空気が生まれます!

 最後には代表の安田さんや長岡さんなども交えた質問コーナーがあり、私もちょこっと質問させて頂きました。

 禅僧トークが終わると、今度は一階の禅僧の部屋へ。こちらはお坊さんのリーダー(首座)のお部屋を模した作りになっています。如来唄(にょらいばい)の読み方(唄い方?)を記した経本など珍しいものも見せて頂きながら、修行時代のことについてやお坊さんの普段の生活、考えていることなどいろいろ聞かせていただきました。

 残念ながら禅僧茶房はこの日が最終日でしたが、またぜひやってほしいイベントでした。

(レポート:ほーりー)



■禅僧茶房(禅僧トーク)

 会場の寒さを心配して臨んだ当日は、うららかな小春日和でした。暑いくらいの陽気で、花粉症には過酷なお天気でした。

 ほーりーさんのレポートにもありましたように着物で参加したのですが、思いのほか和服の方はいらっしゃいませんでした。一般向きのイベントでは和服姿を見る事が多かったので意外でした。

 トークは急な階段を上がった2階で開催されました。2階の床は中央が凹んでいるという、さすが築70年近い建物です。内容は、縁について。手作りのパラパラ漫画を使ってお話されていましたが、春夏秋冬の移り変わりも点で存在するのではなく、一連の繋がりによって成り立っているのだとも仰っていました。枕草子の一節を思い出しながら拝聴致しました。

 質疑応答で、ほーりーさんの「何故このような企画をしたのか?」という質問に対して、代表の安田さんが「最近はスピリチュアルなどの色物に癒しを求める傾向がある。それを否定はしないが昔は仏教に平安を求めていた。お坊さんが語る場を作って行きたい」と話されていた事が印象的でした。

 『求めよ、さらば与えられん』は宗教がかわりますが、仏教が現代に馴染むような入口を設定する事も、一つの布教なんだなと思って聞いていました。

(レポート:葉月さん)



■禅僧茶房(禅僧トーク)

 3/7、春の陽気を感じさせる暖かい1日でした。比較的家が近かったため、散歩がてら愛車(自転車)で行きました。会場は戦前から焼け残った築70年以上の古民家を改装した小石川のカフェで、味があるステキなお店でした。

 1Fはカフェスペースになっており、すでにトークの入場を待つお客さんでしょうか満席状態でした。すぐに時間になりましたので、昔の家にありがちな、狭くて急な階段を登り会場となる2Fへ移動。2Fには一番のりでしたが、最前列はちょっとあれなんで、遠慮がちに真ん中あたりに座ってみました。

 しかし、だんだん人が入ってきてみなさん後ろへ回られるものですから、つめる形でじわじわと前へ。。結局最前列(しかもセンターポジション!)に。なんとも、やる気マンマンな席でトークを拝聴することになりました。。。

 会場には3人のお坊さんがいらっしゃって、みなさん堅苦しくなくなごやかな雰囲気で非常に好感が持てました。3人並ばれたうちの真ん中のお坊さんがメインで話をされました。ご自身の身近な体験談や道元禅師の歌などを紹介されながら、季節の移り変わりの美しさ、それを感じることのできる、一瞬一瞬の縁起のありがたさをお話しされました。

 暖かくなることで木々が芽吹き、結果として花が咲くという縁起。それを五感で感じることによって、はじめて春がきたと認識することができる。春も花も単独では成り立たず、つながりによる結果であり現象であるということ。

 また、ほぼ貫徹で作ったという自作のパラパラ漫画「サムタン」劇場が開演。パラパラとめくりながら、主人公サムタン(といっても登場人物1名)が動きます。1枚1枚の絵がつながっているからこそ、サムタンが動いて見える。ここでも、「移り変わり(変化)」+「つながり」=「結果としての現象」が感じられました。

 サムタンも、何も考えなければ主体性をもったキャラのように感じますが、1枚1枚めくられた結果によって動いたように見える現象にすぎなくて、サムタンという確固とした「我」なんて存在しない。これって、サムタンを自分自身に置き換えても全く同じことなんだよな〜。ってしみじみ。「サムタン劇場深いな! スゲェ!」って思いました。

 でもユルキャラとして売っていくには、もう一味スパイスを加えたほうがいいかと(ちなみに個人的には、せんとくんの兄「鹿坊」くんくらいのインパクトを期待。彼には「キモカワ」という重要ポイントに加え、「コワ(怖)」も備わっているパーフェクトキャラだと思っています。)。

 話がそれましたが、すべてのお話の中に一貫して感じたのは、あらゆる物事は常に変化し移り変わっていくもので、一瞬として同じものなどないということ。その中で、いかなるものも単独では成り立ち得ないこと。また自分もこの縁起のサイクルの中で生かされている一つの命であって、そのことを理解したうえで一瞬一瞬に出会う、縁起を歓び大切にしなければいけないんだということ。

 忙しい日常の中でいろんなものを見過ごして生きているけれど、そんな中でも些細な一瞬に気づける心を失ってはいけないなと強く感じました。

 トークはその後質問コーナーに進み、お坊さんのこのイベントに対する熱い思いから、普段の修行のことや、好きな言葉など、ざっくばらんな感じで和やかに進みました。

 トークイベント終了後も1Fに降りて1人のお坊さんを囲んで質問攻めに(笑) 非常に勉強になり、また修行の裏話なども聞けて楽しかったです。

 実は私の家は真宗のお寺関係なのですが、なぜか幼稚園は曹洞宗のお寺に通っておりまして。けっこう頻繁に本堂で座禅の時間があったことを覚えてます。しかし警作(ネットで調べてはじめて名前知りました。。)を持って歩く園長先生がコワかったトラウマからか、大人になってからもなぜか、禅にはあまり興味がわかず二の足を踏んでいました。今回のイベントで、少し禅の世界にも興味がわきました。参加させていただいてよかったです。

 今回のイベントもそうですが、宗派をとわず若いお坊さんたちが、日本の仏教を盛り上げようと、いろいろ試みられる姿勢は非常に好感が持てますし、その行動力はすごいな〜と尊敬します。本当にがんばってほしいと思います。

 あくまで個人的で勝手な思いですけど、法事や葬式だけお世話になるのではなく、ごく日常の生活の中に当たり前に仏教があって、たとえば「ちょっとコンビニ行ってくる」くらいの自然な感じで、みんながお寺に行くことができるといいなと思います。

 元広告企画マンのお坊さんもいらっしゃって(私も広告制作に携わっている人間なんで、勝手に親近感がわきました。しかも同じ年だった、、、)、これからもイベントとかプロモーションをうまく企画してもらって、日本仏教をアピールしていただきたいと思います。

(レポート:あねこさん)







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