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第84回 「真福寺竹膳料理」散策会 (08/09/07)コース:大樹寺〜円福寺(法事中で参拝ならず)〜信光明寺〜岩津八幡宮〜真福寺(昼食)〜瀧山東照宮〜瀧山寺参加者:noyesidoさん(幹事)、shojiさん、たかさん、みかんさん、大和人さん ■真福寺竹膳料理 今回は松平家(徳川)の本拠地また家康生誕地ということで、それとゆかりのお寺が多かったです。買った御朱印帳にも徳川紋がバシィッとはいっております。 ●大樹寺 桶狭間の合戦で、当時今川方にいた元康(家康)が逃げ込んだお寺。座右の銘「※厭離穢土 欣求浄土」を当時の住職から授かったらしいです。ちなみにここの御朱印もこの言葉です。松平・徳川将軍家の菩提寺。歴代将軍の大きな位牌と写真を見学することができます。ちなみに朱印帳はここのです。 ※厭離穢土 (おんりえど、えんりえど) 欣求浄土(ごんぐじょうど)−汚れきったこの悪い世を離れたいと願い、心から欣(よろこ)んで平和な極楽浄土を冀(こいねが)うこと。平安中期の高僧源信(恵心僧都)が著した「往生要集」の中の言葉。 大樹寺の住職13世登誉上人は、この寺に逃げ込んできた元康に「厭離穢土欣求浄土」の教えを諭しました。元康は以後戦国の世を穢土とし、平和な世を浄土として「厭離穢土欣求浄土」を旗印としました。旗印にこの言葉を上人に書いてもらったみたいです。嘘か誠か?! ●信光明寺 松平三代目信光創建。全国浄土宗の寺の中で、最も古いお堂を持つ寺みたいです。観音堂は室町時代の趣を今に伝えています。この寺は伊勢新九郎(北条早雲)に放火されたそうな・・・。 ●岩津天満宮 愛知全域から初天神の時はなどは参拝者が集まるそうです。信光明寺のすぐ山手上にあります。 ●真福寺 聖徳太子建立46ヶ寺の1つ。本堂内陣参拝ができてよかったです。精進料理なのに値段もお手ごろで量も結構多く、大変美味しい竹膳料理でした。ご馳走様でした。何から何まで竹、竹、竹。何度でも時間と暇があればお伺いしたいところです。 ●瀧山東照宮・瀧山寺 家康ゆかりなのか? 東照宮が寺の真山上にありました。神仏習合のようです。ものすごいお宝が眠っている?! って感じのお寺です。宝物館は圧巻でした。運慶作 聖観音がありました。また一度紅葉の季節などにお伺いしたいです。 最後にまだまだ岡崎といってもほんの一部を周ったに過ぎません。どこの土地もそうですが、噛み締めて新たな味が見つかるのかと思います。ので、再来もよし、また新たな各、新都市隠寺もよし、企画しようかなとか思ってます。 (レポート:noyesidoさん) ■真福寺竹膳料理 名古屋は通過するだけで、降りるのは初めてなので、前の日に行き熱田神宮、日泰寺とか見てきました。熱田神宮はさすがに伊勢につぐお宮さんということで境内も広く、鶏も放し飼いにされていて人が来るたびにコケコッコーと鳴いてました。 日泰寺は日本と泰(タイ)のお寺という意味で、お釈迦様の本当の仏舎利があるそうです。タイから仏舎利を送られたのを期に創建されたそうで、タイの雰囲気たっぷりでした。タイ語や、タイ国王の銅像とか。異国情緒があり楽しめました。 名鉄東岡崎で待ち合わせタクシーでお寺めぐり。行ったお寺。大樹寺、円福寺、信光明寺、岩津八幡宮、真福寺、瀧山寺。印象に残ったところだけ記します。 ・大樹寺 さすがに三河、徳川家の発祥の地というお寺でした。葵の御紋があちらこちらに。桶狭間の戦いで今川方にいた家康が逃げてきてこのお寺に入り、ご住職から「厭離穢土、欣求浄土」の言葉を授かったそうです。平和な世の中を築く決意を家康がしたそうです。後朱印もこの言葉でした。お寺のお土産にも三河の八丁味噌が並べられていました。 ・真福寺 こちらで竹膳料理をいただきました。季節に関係なくいつでもたけのこをいただけるそうで、たけのこ尽くしで十分におなか一杯になる量でした。順序は逆なのですが、食事の後本堂へお参りです。白鳳時代にまでさかのぼのる歴史があり、白鳳時代の仏頭もありました。聖徳太子建立だそうです。 ・瀧山寺 役小角、創建といわれています。宝蔵をみせていただき、運慶作の聖観音さまがいらっしゃいました。まだまだ暑い日の中でのお参りでしたが、こちらも車でないといけないようなところばかりで、宿坊の会で行けてよかったです。 (レポート:みかんさん) ■関連リンク 真福寺 |
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