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第83回 「熊野三山」散策会 (08/08/23〜25)

 コース:8/23 花窟神社〜補陀洛山寺〜大門坂

8/24 青岸渡寺〜熊野那智大社〜飛瀧社〜阿弥陀寺〜熊野本宮大社〜神倉神社〜熊野速玉神社

8/25 貴船神社〜神蔵寺〜明徳寺

 参加者:noyesidoさん(幹事)、hyntさん、日の出さん、美山さん、たかさん、shojiさん、juneさん、みかんさん、あいすさん
熊野三山
■熊野三山

 今回は大阪発組み、名古屋発組みに分かれての出発。紀伊勝浦で落ち合うという算段。わたくしは、名古屋組に。当日は最近流行のゲリラ豪雨のため電車が遅れたり運休になったりしておりましたが、乗った電車はほぼ定刻どおりに無事紀伊勝浦に着く事ができました。無事に大阪、名古屋組合流。

 到着後食事をしバスにて一日目のコース(花の窟を除く)を巡りました。今回は貸しきり状態で尊勝院に宿泊いたしました。こんなのは初めてです。大変満足しました。二日目はジャンボタクシーにて設定したコースを巡るという工程。とても親切な運転手さんで大変助かりました。そして終了後、紀伊勝浦にてまた二手に分かれて帰路に着いたのでありました。が・・・、とある理由で場所は名古屋に移りましたが延長一日がありました。後ほど。

花窟神社

 熊野市にある神社。神代の時代から存在し?! 日本書紀にも登場する由緒正しき神社であります(行った方レポートお願いします)。

補陀洛山寺

 今回で2度目の参拝。今回は嬉しいことに本尊様とご対面。千手観音の勉強ができました。

大門坂

 雨が降ってはおりましたが、お陰で蜂が飛んでなくて良かったです。世界遺産に登録されたお陰で、以前の本当の姿を失った模様です。残念。

 青岸渡寺

 ここは3度目の参拝(何度でも着ますが・・・)。他は花の窟、阿弥陀寺以外は2度目。西国33所の一番札所で有名。また熊野三山で廃仏毀釈の中で唯一残ったお寺。高台とか尊勝院から見る三重塔の横に那智の瀧の風景は絶品。

熊野那智大社・飛瀧社

 熊野三山の一つと摂社。祭神は大国主、熊野夫須美大神他・那智大滝。神仏習合が色濃く残る所です。それぞれ神は千手観音、阿弥陀如来、薬師如来に変身しているらしいです。飛瀧社では大瀧の目の前まで行くことができます。瀧の水のミストシャワーは浴びると気持ちいいです。いつ行っても感動です。

阿弥陀寺

 行きたいと思っていてもなかなかいけないお寺の一つ。今回行けて大変嬉しかったです。青岸渡寺よりまだ山奥にある古寺。新宮の人が死んだら必ず? 行くお寺。熊野三山と深いつながりを持ってます。また日本最初の焼身自殺現場があります。山深く神秘的なところでありました。

熊野本宮大社

 熊野三山の一つ。先ほども書きましたが、熊野本宮大社の主祭神の家都御子神(けつみこのかみ)=阿弥陀如来、熊野速玉大社の熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)=薬師如来、熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのふすみのかみ)=千手観音らしいです。だからお近くの熊野神社で仏像がおいてあり、それが上の3つのどれかであればそれぞれの末社になるわけであります。

 明治22年の水害で全てが流されたようで、非常に残念です。また八咫烏が有名です。戦国時代には雑賀鈴木家の家紋にもなっております。

 神倉神社・熊野速玉神社

 神倉=元宮 速玉=新宮。それで新宮市。火祭りで有名。神倉さんは恐ろしいほどの急勾配の石段を登らなければ行けません。今回は時間の都合でいけませんでした。次回はリベンジを・・・。ちなみに速玉さんは街中で三山の中でも一番駅から近く、すぐにでも行けます。

延長一日in名古屋

 無事なごやに着きましたが・・・。昨今の大雨のせいで、新幹線が2時間遅れとか運転見合わせとか運休とかえらいことに。juneさんを除く名古屋組が、なんとshojiさんの家に泊まらせていただきました。本当にありがとうございました。

 翌日一行で近辺の喫茶店で名古屋モーニングを食したあとに、柴田勝家公ゆかりのお寺や神社を探索しました。当日もおなじく新幹線はえらいことになっていましたが、徐々に回復。15時には皆帰路に着き、無事?! 熊野企画は幕を下ろしたのでありました。

(レポート:noyesidoさん)



■熊野三山

 今年は大雨が多く、私たちの行きの行程でも、電車が運転見合わせのアナウンスが流れるなど(結果的には多少の遅延で目的地に着きましたが) 、波乱含みの展開でした。

■補陀洛山寺

 かつて船にお坊さんを閉じ込めて、はるか南を目指し出港したという補陀洛渡海の寺。渡海に使われた船のレプリカも展示してありました。

 ご本尊は、1年に3回しか公開しないという千手観音さまですが、今回は偶然、開けてもらうことが出来ました。写真で見るのとは断然ありがたみが違います。個人的には、25煩悩×40手で千手という意味を初めて知りました。

■大門坂

 生い茂った木と、コケ蒸した石段が、熊野古道の雰囲気を醸し出していました。雨の中、石段を登りました。巨大な杉があちこちに目に入ります。スズメバチ注意の注意書きもあちこちにありました。雨でよかったかな。

■青岸渡寺・那智大社

 かつては一つの神社だったようですが、明治に分かれたとのこと。ここの宿坊に泊まったため、青岸渡寺本堂で朝のおつとめの後、まだ人が少ない時間帯にご神体の那智の滝にいくことができました。近くで見る滝の水しぶきが、朝日を浴びて奇麗でした。

■阿弥陀堂

 タクシーで雲をつき抜けて山道を登っていったところにありました。入り口の石段のあたりでは、もやが目の前をかなりの速さで通り、別世界に来た感覚です。女人高野と言われるだけあって、密教の法具がお堂の中に広げられ、天井もランプ(?)がたくさん下げられ、雰囲気は高野山でした。

■熊野本宮大社

 タクシーで1時間ぐらい走った、奥まった地にある神社。いくつもの社の参拝順序があるらしく、チェックして参拝。

 今回企画初参加でしたが、とても楽しめました。

(レポート:hyntさん)



■熊野三山

 今回、大阪からの参加は、みかんさんと私の2名だけで、名古屋組の皆さんとは、紀伊勝浦にて合流。名古屋組の皆さんは、新宮で「花の窟」へ寄ってから来られたようですが、大阪組は電車の時間の都合で、「花の窟」参拝はあきらめ、紀伊勝浦で「海翁禅寺」と「勝浦八幡神社」へお参りしました。

1日目

【補陀洛山寺】

 補陀洛渡海で有名なお寺。世界遺産となったのも、この補陀洛渡海の風習によるものとの事。渡海船のレプリカが境内に展示されていますが、屋形の四方に死出の四門が立てられた姿はレプリカと分っていてもなんとなく重苦しい気分に・・・。

 こちらの本尊の「三貌十一面千手千眼観音」は、年3回しかご開帳されないそうですが、なんと雨の日にもかかわらず特別にご開帳していただけることになり、一同、大興奮(笑) (丁度、私達一行と同じ時に、古くからの信徒さん一家が来られていたこともあったようです)。これも何かのご縁があったということでしょうか? 写真よりもはるかに柔和なお顔の美しい仏像で、間近でお会いできて感動でした。

【大門坂】

 雨の中、樹齢800年の堂々とした夫婦杉がお出迎えしてくれました。「坂」というよりも、むしろ「石段」。。。点在する「スズメバチ注意」の張り紙に雨の日でよかったと思いつつ登りました。

 世界遺産に登録される前は訪れる人もまばらで、苔むした石段だったそうですが、今は観光客が増えてコケの生える間もないとの事。宿泊した尊勝院の方は、子供の頃、この大門坂が通学路だったそうです。

【青岸渡寺 尊勝院】(宿泊)

 中世には、天皇・皇族の熊野詣の宿にもなった由緒ある宿坊。60畳ほどもある大部屋がいくつもあり、優に100人以上のキャパはありそうでしたが、当日はなんと私達9人で貸切状態。「何時まで騒いでもらってもかまいませんよー」と言われました(笑)

 離れ2階の大広間は、那智大滝と三重塔の絶景ビューポイント。お盆期間なら滝がライトアップされてたようで、一足遅く残念。食事は精進料理ではなかったですが、ボリュームたっぷりで食べきれない女性陣もでるほど。宿坊なので簡単なかたづけは自分たちでやります。

 備品は浴衣とドライヤー(洗面所)がありました。部屋はクーラーはなく扇風機だけでしたが、問題なく過ごせました。

2日目

【青岸渡寺】

 西国一番札所。4時起床。まだ明けやらぬ空の下、5時からのお勤めに参加しました。この時だけは内陣に入れて頂けます。金色に輝くお前立ちの如意輪観音様を眺めている間に、経本についていけず途中から脱落してしまいました。。。お勤めの後、隣の那智大社にも参拝。

【飛瀧神社】

 那智大滝をご神体とする、滝の目の前の神社。300円でさらに近くの「御滝拝所」に登れます。早朝、参拝客もほとんどおらず、すがすがしい朝の空気にマイナスイオンも一杯浴びて、久々に「早起きは三文の徳」を実感しました。

【阿弥陀寺】

 宿坊を後にして、ジャンボタクシーで移動。丁度、妙法山に雲がかかっており、訪れた時は阿弥陀寺は雲(霧?)の中で、まさに「黄泉の国」にふさわしい神秘的な雰囲気でした。

 本堂を左手に行くと林の中に「火生三昧」跡があります。なかなか雰囲気のあるお寺でした。

【熊野本宮大社】

 堂々とした鳥居と杉並木の参道。拝殿は参拝の順序が決まっているそうです。熱心に祝詞? を上げる信者の方もいらっしゃいました。博識なジャンボタクシーの運転手さんに教えていただきましたが、熊野三山の八咫烏がサッカーの日本代表チームのシンボルに使われているのは、日本にサッカーを広めた方の出身地が那智勝浦だったからだそうです。

【熊野速玉神社】

 本宮とは対照的に、朱塗りが眼に鮮やか。樹齢1000年といわれる「なぎの木」があり、葉っぱは夫婦円満のお守りになるとか。ちなみに、神倉神社のご朱印もこちらで一緒にいただけます。

【神倉神社】

 御神体は崖の上の「ゴトビキ岩」と呼ばれる巨石。たどり着くには、自然石で組まれた急勾配な500段の石段が待ち受けてます。今回は時間の関係で登れませんでしたが、ところにより足を縦に置けないほどの幅の狭い箇所もあるとか。高所恐怖症の人は下りに難儀するとも聞きました。

 火祭りで有名な神社ですが、火祭りの際はこの急な石段を7段飛ばしくらいで駆け下りてくるそうですが、石段を眼にしてその話を聞くととても信じられません。機会があれば上まで是非登ってみたいと思いました。

 帰りはジャンボタクシーで紀伊勝浦間で送ってもらい、往路と同じく、大阪組と名古屋組に別れて散会となりました(名古屋組の方々は、その後のまだ延長戦があったようですが(笑))。

(レポート:あいすさん)



■熊野三山

 初めてのお泊り参加で寛げて、親切なタクシーの運転手さん兼ガイドさんにも恵まれ、大人の修学旅行のようで楽しかったです。たくさんの場所を訪れ、たくさんの出来事があり、夢のような旅でした。

「花の窟」

 ご神体の巨岩とご神木の松とが長い縄で結ばれています。毎年2回「御綱掛け神事」が行われるそうです。日本最古の神社といわれるだけに、神聖な気が漂っていました。

 火の神カグツチノミコトを生んだ時に焼け死んでしまったイザナミノミコトと、怒ったイザナギノミコトに殺されたカグツチノミコトがここに葬られ祭られているらしい。ということは元々はお墓…そのせいか何となくひっそりとした物悲しさを感じました。

 また駅に帰る途中車から見えた「獅子岩」は大変迫力がありました。この辺りはまた再訪してゆっくり歩いてみたいです。

「補陀洛山寺」

 ここで奇跡が起きました。ご本尊の三貌十一面千手千眼観音様と対面させて頂けたのです。熱心なご信徒さんのついでにとおっしゃってはいましたが、間違いなく私達の信仰心の厚さが伝わったと確信いたします。また境内には釘付けに閉じ込められ、補陀洛渡海に出発した渡海船が復元されてありました。

 後でタクシーの運転手さんに逃げ出して殺された若い僧の話を聞きました。観音浄土を目指す、捨身行という名のもとに犠牲になったとも考えられる、僧達の悲しい事実に胸が熱くなりました。

「青岸渡寺」

 宿坊「尊勝院」からの那智の滝の眺めが素晴らしかったです。宿坊は貸切状態で、食後ものびのびとゆっくり宴会が出来ました。また宿泊したことにより、人の少ないときに那智の滝の近くまで行き、良い気を浴びることができました。

 本堂の朝のお勤めも格別でした。お経の速さについていくことができませんでしたが、お坊さんのお経はリズムがあり歌うようで心が清められた、ような気が。

「熊野本宮大社」

 檜皮葺きの社殿が美しく、荘厳で神聖な雰囲気が素晴らしいです。ご朱印帳も八咫烏のマークが愛らしく思わず購入。

「阿弥陀寺」

 妙法山の頂上近くにあり、霧がかかって幻想的でした。女人高野といわれているそうですが、昔女性がここにたどり着くのはさぞ大変だったと想像します。死者の撞く鐘があったり、応照上人の火定跡があったり、まさにミステリーゾーン!?

 こちらが出発点の本宮へ向かう「大雲取越え・小雲取越え」の道中では、亡者に出会ったり妖怪ダルにとり憑かれたりするそうです。個人的に一人で訪れるには怖いところなので、お仲間と来れてよかったなと思いました。

(レポート:たかさん)



■熊野三山

 今回、日本一の直瀑、那智の大滝見たさに関東より参加した熊野詣でしたが、お寺巡りのベテランの方々と同行できて、色々と大変勉強になりました。そして、串本タクシーのドライバーさんの学者のような素晴らしい博識ぶりにも驚きました。日本人ながら知らない事多々ありだなぁ〜と痛感した散策会でした。

 今回特に強烈に印象に残ったのは、

・補陀落山寺と補陀落渡海、海洋信仰と渡海船(復元)
・妙法山阿弥陀寺の応照上人の火定(かじょう)三昧跡です。

 一方は生きた状態で観音菩薩の浄土、南方の補陀落を目指して、扉の無い渡海船で船出する厳しい捨身行、入水往生。

 もう一方は、法華経(滅罪経典として信仰されていた)の行者、応照上人が平安時代、日本で最初に焼身往生した場所。火定とは、生きながらに焼身往生する捨身行。

 どちらも修験道の滅罪信仰の意味合いが強い究極の実践行、捨身行の形だそうですが・・・どちらも人々の罪を自分が身代わりになって背負い、自らの命を絶つ「代受苦-だいじゅく」の精神で行われた滅罪の苦行、だそうですが・・・

 この様な厳しい行が、昔実際に行われていたとは知りませんでした。背景には平安後期浄土信仰がさかんになった事や、戦国時代の社会不安、末法思想の終末観などがあるようです。

 実際その場に佇んだとき言葉を失いました。本当に強烈なショックを感じて、忘れられず、東京に戻ってから思わず調べなおしてしまった程です。どちらの場所でも驚愕しながら拝見しました。井上靖の小説に『補陀洛渡海記』というのがあるのも知りませんでした。どなたか読んだ方いらっしゃるでしょうか・・・?

 他、気づいた事、体験などとしては、お寺巡り初心者の視点から

@登山知識が役に立つ・・・雨具での雨対策や歩きやすい靴選び、荷物のパッキングの仕方、自然の知識、というか常識? 大門坂を歩いた時、雨で湿度も高く、片手に折りたたみ傘で不自由な上にリュックの背負い方を間違えていたため、後方に重みで引っ張られてしまい、一歩一歩がまさに苦行状態になってしまいました。

 「雨のお陰で歩けた。晴れてたら蜂が出て無理! 危険!」という常識も知らず。知らないと危ない事も多いので、やはり慣れた方と行くのは心強いです。

A古刹巡りには要体力・・・体力が無くては楽しむべき景色も見る余裕なしです。上り下りが多い上に石段や道の険しい所が普通に沢山あるので、鍛えてないと本当にきついです!(きつかった・・・)

B硯を買うときは試しずりを・・・那智と言えば那智黒石の硯、と硯が欲しい旨を参加表明に書いたところ、noyesidoさんがわざわざ名店を調べておいて下さいました。

 山口光峯堂店先で物色しているとすぐにお店の方が対応して下さり、試しずりをさせて下さいました。6歳の子供か病人の力加減でするのが一番良いとのこと。グレードの高い硯はすり心地が非常に滑らかで、確かに力なんていりませんでした。違いを比べると良い硯の滑らかさに結構感動します。お店の奥様はとても素敵な仏画も描いておられました。手入れの仕方など詳しく教えて頂けるのも有りがたかったです。

C小銭は多めに準備・・・常識、かもしれませんが、御朱印を頂く時やお賽銭に必要だったりするのに、油断すると大きいお金しかない! という事に。そして、お財布の出し入れがすごく面倒だったので、専用の小銭入れを準備、がBESTなのだな・・・次回・・。と気づいたのでした。←ホントに初心者の気づきですが、

 体験したからこそ、ということでレポート。特に雨だと水滴から御朱印帳を守らねば、などと鞄をごそごそやったりする羽目になって実に面倒でした。

 目的だった那智の大滝は前日の雨のお陰で水量も多く、晴れ渡った空と早朝の太陽の光の輝きの中、御神体としての荘厳で美しい姿を見ることが出来ました。滝の御神水「延命長寿の水」をいただくことが出来ます。やわらかく清らかな味のお水でした。

 二日間の行程は大変に内容が濃く、青岸渡寺尊勝院での宿坊体験、熊野本宮大社などの参拝等様々と貴重な体験をしましたが、他の方々が詳しく書いて下さっているので割愛し、個人的にとりわけ印象深かった事を体験レポートさせて頂きました。

(レポート:美山さん)



■熊野三山

 花の窟神社は電車が雨で遅れた為、行きも帰りもタクシーでの参拝となりました。イザナミノミコトは火神であるカグツチノミコトを産んだ際の火傷が原因で亡くなり、花の窟に葬られました。大きな岩がイザナミノミコトのご神体で、カグツチノミコトもすぐ近くに祀られていました。お参りした後、茶屋・花の岩屋で買い物。茶屋は地元の方が運営されているアットホームな店でした。

 補蛇洛山寺は補陀洛渡海で知られているお寺です。補陀洛渡海とは生きながら小さな船に入り、南方にある観音浄土(補陀洛浄土)を目指した行です。復元された船が補蛇洛山寺の境内にあります。今回は特別に御本尊の観音様を開帳してくれました。お寺の方の話も印象的でしたし、観音様も写真よりはるかにりっぱで、本当に貴重体験でした。

 大門坂は樹齢何百年の大木が何本もあり、熊野古道を歩いているという気分になります。大門坂を登り切ると尊勝院の方の迎えの車があり、そのまま車に乗って尊勝院へ。この日に宿泊するのは我々のグループだけと言うことで、貸し切り状態でした。

 翌日は朝5時から始まる朝のお勤めに参加しました。お勤めの後、青岸渡寺、那智大社、那智の滝を拝観しました。やはり早朝の散策はとても気持ちが良いです。何度も深呼吸をして、神聖な空気を体に入れました。

 阿弥陀寺は青岸渡寺より更に山の上に移動したところにあるお寺です。お寺には山の下の方から雲(霧)が移動して来ており、神秘的な感じでした。女人高野山と呼ばれたそうですが、女性がここまで登ってくるのは大変だったと思います。昔の方の信仰の強さを改めて感じました。

 次は熊野本宮大社へ。タクシーが熊野川沿いを通るようになると本宮に近づいてきたという気持ちになりました。境内に入り、お参りするために並んで待っていると雨が降ってきました。禊の雨です。私は熊野三山の中では本宮が一番好きなので、禊の雨で歓迎してくれてとても嬉しかったです。

 熊野川をどんどん下り、熊野速玉大社へ。速玉大社はJR新宮駅から歩いていける場所にあり、梛(なぎ)の木が有名です。速玉大社の後、神倉神社に向かいましたが、時間がないとのことで、長く続く石段の前までしか行けませんでした。ご神体であるゴトビキ岩を拝観するのは次回の楽しみにとっておきます。

 紀伊勝浦駅に戻り、買い物をして、特急「ワイドビュー南紀」に乗車。そして名古屋から新幹線で関東に戻りましたと書きたいところですが、熱海・小田原間の大雨で新幹線が止まっていました。結局、shojiさんの家に泊めて頂き、翌日は以前から気になっていた名古屋のモーニングを食べ、柴田勝家ゆかりのお寺などを訪れた後、名古屋駅に行きました。午前中にまたまたストップしており、どうなることかと思われた新幹線も午後にはほぼ平常通りに戻っており、無事、関東に戻ることができました。

 今回の熊野企画は、参加して本当に良かったと思える印象深い散策会でした。

(レポート:日の出さん)



■熊野三山

 熊野三山のなかで、特に印象に残ったところだけ記します。

・補陀落山寺と補陀落渡海

 ここでは思いがけず、千手観音様の特別開帳をしていただきました。最初にお写真を見せていただいたのですが、事前に実物とは感じが違うと説明を受けましたが、その通りでした! 写真は前から、見る側と対等のような立場で撮っていますが、実際下から仰いでお参りするのとは大分感じが違います。やはり仏像は信仰の対象だから、下から仰ぎ見るというのがいいのかもしれません。

・阿弥陀寺 タクシーで霧の中山の上へ。

 さすが女人高野といわれるだけあり、山の上にあり交通手段も車しかなく、1人ではこれないようなところで、みなさんと行けてよかったです。紀州の人が死後ここに来て鐘をつくところらしく、生きている人も志納金を納めれば撞けるそうです。帰りに撞こうかなと思っていたのですが、違う道で帰ってきてしましました。

 あと、日本最初の焼身自殺の跡もあったり、霧の中、雰囲気たっぷりの場所でした。イノシシとけんかをした強い秋田犬や、人間に捨てられて人間不信になり、くつ箱の下にずっと引きこもっている犬も同居してました。なかなか見所の多いお寺でした。

(レポート:みかんさん)



■関連リンク

青岸渡寺尊勝院






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