宿坊研究会 〜座禅・写経・精進料理など、楽しさ満載!〜  
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泊まる前に知っておきたい、宿坊を3倍楽しむコツ

最後にちょっとまめ知識。宿坊の歴史と成り立ち

 宿坊とはそもそも何でしょうか? なぜ、全国に今もこれだけ残っているのでしょうか? ブームの影で実はあんまり知られていない宿坊の歴史について、ここではちょっと紹介してみます。



 まずは宿坊とは何か。お寺や神社の宿泊施設であることは再三に渡り述べていますが、どうしてそんなところに宿があるのでしょう? これはそもそも日本の大衆旅行の成り立ちが大きく関係しています。

 まず江戸時代までの旅と言えば、有名寺社へとお参りをする参拝旅行が中心でした。五街道など主要な街道が整備されると旅の安全性は飛躍的に高まり、また庶民にもいくらか生活に余裕が出てきた江戸時代後期には、旅は一部の特権階級のみならず、一般の人間にも手が届くものとなってきます。

 逆に寺社側も信仰の普及や経済的な運営を賄う意味で、参拝旅行を積極的に勧めてきました。江戸時代に毎年約五十万人もの人が訪れたお伊勢詣りは有名ですが、これは伊勢神宮の門前に住む「御師」と呼ばれる神官達が、全国を渡り歩きながらお札や暦を配り歩いて参拝旅行を宣伝した功績と言えます。

 同じことは全国各地の寺社で行われました。和歌山県の高野山からは高野聖が、熊野からは勧進比丘尼が全国を行脚して回り、富山県の立山では農閑期に各坊ごとが受け持つ檀那場と呼ばれる地域で信仰を伝える絵解きを行っていました。また長野県の善光寺では火事で焼けた本堂の再建のために前立本尊を幾度となく出開帳させるなど、その信仰を広める活動は各地で活発に行われます。

 そして信仰の伝播に伴い、多くの農村では「講中」と呼ばれる信仰団体も生まれました。代表者が参拝に出かける代参が盛んに行われ、江戸時代の後期に書かれた十返舎一九の『東海道中膝栗毛』など、旅そのものの魅力を伝える文学も、人々の旅への欲求を駆り立てる動機付けとなりました。

 このような背景から、今度は参拝に訪れた旅人を世話する宿が必要になってきます。街道には間隔を置いて旅籠が整えられていきましたが、寺社の門前では参拝者を受け入れる宿として宿坊が発達することとなりました。宿坊は旅籠と共に日本の旅になくてはならない重要な役割を果たし、旅の安全を支えていったのです。

 往時の宿坊は、寺社の門前でそれぞれ大きな街を形成していたようです。伊勢の街には御師の館が九百軒近くも並び、修験の聖地山形県の羽黒山には三百三十六坊も軒を連ねていた記録があります。

 宿泊する宿であり、中心寺社への参拝祈祷の取り次ぎ役であり、さらに信仰を広げる営業担当でもある。高野山のように各地の有力者の菩提寺としての勤めや、善光寺の宿坊のように中心寺社の行事を受け持つ運営機関でもあるなど、宿坊には幅広い役割が求められました。

 このように隆盛を極めた宿坊ですが、明治時代に政府から発令された神仏分離令を機に、今度は一転して弾圧の対象となります。特にそれは修験道の聖地と呼ばれる地域で激しく行われました。

 もともと修験道は神と仰ぎ見ていた山々に、密教の思想が組み入れられた日本独自の信仰形態です。獣も通らないような山道を駆け抜け、滝行や木食行などその修行は過酷を極めていました。それだけに修験者には特別な験力が備わり、祈祷によって災厄を払うと篤い信仰対象となっていました。

 しかし神仏分離令では、神道と仏教の境をはっきりさせることが言い渡され、修験道の根本思想とぶつかるこの発令には当然強く反発も起こりました。

 山形県の出羽三山。長野県の戸隠。富山県の立山。今も宿坊の残るこれらの地域でも、その災禍はすさまじいものでした。数々の堂宇は破壊され、仏像・仏具・経典などは全て焼かれてしまいました。僧職は追放を余儀なくされ、仏教は痕跡すら残すことが許されませんでした。

 この時代がなければ、現在に残る国宝・重要文化財の数は桁が違ったとも言われています。そして今は神社となっているこれらの地域を訪れ、展示された仏像などを見ると、それがどれだけの想いで残されてきたものかが熱く伝わってきます。

 人の手に預け、土に埋め、追求の網を逃れ、そうして守られてきたごくわずかな品々がようやく今、日の光を浴びることができるようになったのです。私はその前に立った時、静かに並べられた仏像たちのあまりに凄惨な生い立ちに、憤りを感じずにはいられませんでした。

 また九百軒もあった伊勢神宮の宿坊も、「神聖な神宮を商売にしている」として徹底的に排除されました。神仏分離令による廃仏毀釈は、お寺にとっても神社にとっても深刻な打撃があり、これ以降宿坊は衰退の一途を辿っていくこととなったのです。

 現在に残る宿坊は、こうした時代を乗り越え、続いています。しかしその後も核家族化による講中の減少、高度成長期の乱開発の波、豊かさを追求する大量消費のライフサイクルなど、多難な時代は長く続いていくこととなるのです。




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