泊まる前に知っておきたい、宿坊を3倍楽しむコツ
宿坊でしかできない仏教・神道体験!
(十)歴史
歴史が楽しめる宿坊には、和歌山県の高野山があります。
大阪(難波駅)から南海高野線で約1時間30分。ケーブルやバスを乗り継ぐと、そこは人口の四分の一を僧侶が占める日本随一の寺院都市です。
高野山は弘法大師空海が開いた真言宗の総本山で、山内には53の宿坊があります。街の東端にある奥の院には弘法大師御廟が建ち、空海は今もここに生き続けていると信じられています。
その御廟へと続く奥の院参道には、歴史の記しが刻まれています。
死後はお大師様の元で眠りたいと有名・無名を問わず多くの方がこの参道沿いに墓を建てたため、周囲には十万とも二十万とも言われる墓石が並ぶ壮観な光景があります。
約2Kmの道を埋め尽くす、見渡す限りの墓、墓、墓。しかしこれだけ墓があっても、怖いという感じはしません。木立の中でひんやりとした風が心地よく、むしろピシリと筋の通った聖地の空気に身が引き締まります。
そしてこの墓石群の中には、戦国大名など数々の歴史の偉人達の名を見つけることができます。
武田信玄、上杉謙信、織田信長、明智光秀、石田三成、伊達政宗……。歴史好きならきっと、はっと息を呑む名前の数々でしょう。
生前には敵味方で争いあった者も、愛憎も、裏切りも超越し、ここでは全てを過去のこととして共に眠っています。この参道を歩く者はそのまま時間を遡り、教科書をめくるだけでは得られない歴史の追体験ができるのです。
また高野山は宿坊にも、歴史上の人物と縁の深いお寺が多くあります。
桜池院は武田家、蓮花院は徳川家の菩提寺であり、天徳院は前田利家が夫人の天徳院の遺骨を納めたことにより、寺名が付けられています。
織田信長の墓所を管理している無量光院や、鎌倉幕府三代将軍源実朝の菩提を弔うために北条政子が寄進した金剛三昧院もあります。
そして最も有名なものに、関ヶ原の合戦後に真田幸村とその父親の昌幸が蟄居し、実際にその場で時を過ごした蓮華定院があります。
都から遠く離れた高野山は戦火を逃れ、歴史の光も闇も全てを受け入れてきました。
端から端まで歩いてみると、日本の足跡を記録してきた語り部のような街だと実感します。その宿坊で過ごす一夜は想像力が翼を広げ、日本のルーツを辿る手がかりとなるようです。
一方で高野山が歴史を俯瞰してきた街であるなら、奈良県の吉野は歴史の表舞台として時代を駆け抜けた街と言えます。
吉野は高野山、熊野とその間を通る古道と共に、『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録されています。
そのため今も多くの観光客が訪れ、行者達が修行を行う修験の聖地として、また春には一目千本と呼ばれる桜の名所としても知られています。
しかし歴史好きにはもう一つ、常に歴史の転換点において重要な役割を果たした土地であることにも注目しておきたいものです。
吉野は天武天皇が壬申の乱を平定した際、最初に兵を挙げた土地として歴史に登場します。この勝利により天武天皇は政権を築き、代々に渡って天皇位を継承させる基盤となったのです。そのため天武天皇の子孫達は吉野をまさに聖地と称え、三十回以上も足を運んだ持統天皇を始め、多くの古代の天皇が行幸しています。
また時代が下ると、源義経と静御前が別れを告げた離別の地でもあります。後醍醐天皇が朝廷を開いたのも吉野であり、動乱の南北朝が幕を開けたのもここからです。
さらに西行が庵を結び芭蕉が訪れるなど、その美しさは歌人の歌にも残り、秀吉の五千人の供を連れた花見などは、その壮大なスケールに圧倒されてしまいます。
吉野には四つの宿坊がありますが、千利休が築いた回遊式借景庭園を配する竹林院など、それぞれの歴史も興味深いものです。
ここに挙げた高野山や吉野に限らず、長い時間を経て今に残る宿坊には、観光だけでは得られない土地土地の息吹のようなものが残されています。足早に歩き去るのではなく、じっくりと一日立ち止まり、その空気を吸い込む。
同じ空気を吸った過去の偉人に想いを馳せ、一夜を過ごせる幸せが宿坊にはあります。
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