泊まる前に知っておきたい、宿坊を3倍楽しむコツ
宿坊でしかできない仏教・神道体験!
(八)日本庭園
庭園においても、建築と同じようなことが言えます。宿坊には日本庭園が備わっていることが多いのです。
それはこぢんまりとした小さな庭から、それこそ名勝指定されているような歴史と風格漂う庭園に出会うこともあります。
そんな中でも特に有名なものの一つに、岩手県平泉の毛越寺が挙げられます。
平泉は奥州藤原氏が築いた仏教に基づく一大都市で、東北の中では独自の文化と栄華を誇った街です。
今に残る中尊寺の金色堂は金箔を押して夜光貝の螺鈿や透かし彫りで装飾され、三間四方の堂内は黒漆で塗り固められた精緻な国宝建造物として知られています。最近の研究では柱や天井板の年輪から、木材が伐採されたのは平安後期の1114〜1116年と分かり、天治元年(1124)建立という寺伝に科学的な確証が得られたとの報がありました。
都から遠く離れた特異な街は鎌倉時代まで繁栄が続き、源義経を匿ったことで頼朝に滅ぼされます。その盛者必衰を詠んだ「夏草や兵共が夢の跡」という有名な芭蕉の句碑は、毛越寺の南大門跡にあります。
その毛越寺ですが平安時代に造られた庭園があり、今に伝わる浄土庭園の代表例として、よく庭園の本にも取り上げられています。
この浄土庭園とは、末法思想という考えに基づいて造られた庭園のことです。
平安時代の後期、日本では「末法」という思想が信じられていました。これは釈迦が入滅してからの千年間を「正法」の時代、続く千年を「像法」の時代と呼び、これらは釈迦の教えが正しく伝わる期間とされていました。
しかしその後に始まる「末法」の時代では仏法が衰えて世の中に混乱が起こるとされ、日本ではそれが1052年(永承七年)に当たるとされていたのです。
折しもこの時期に先立ち、940年前後には関東で平将門が、四国では藤原純友が内乱を起こして東西から都を脅かすなど、武士の台頭と貴族の衰退を予感させる動乱の時代が幕を開けていました。
また飢饉や日照り、水害、地震、疫病などの天災が続き、比叡山を始めとする諸寺の腐敗や僧兵も出現するなど、まさに時代は混迷の真っ最中にありました。
それだけに都では地獄のような現世から死後の世界に逃げ込み、阿弥陀如来のいる極楽浄土への往生を願おうとした浄土信仰が盛んになったのです。
毛越寺の庭園もこの思想が組み入れられていますが、その様式は歩いてみるとよく分かります。
宿坊の真正面には東西約百八十メートル、南北約九十メートルにも及ぶ大泉が池が広がっていますが、中央部には極楽浄土の舞台として見立てられた中島があります。
この中島にはかつて反橋が架かり、橋を渡ることにより浄土へ入る様子を模していました。いわば庭園が極楽往生への舞台装置の役割を果たしていたのです。
今は残念ながら橋はなく、往時は堂塔四十・僧坊五百と言われた建物も数度の火災によって焼失してしまいましたが、庭園は池を中心に周りを歩くことができ、イメージされた極楽思想や優雅な平安世界を空想することができます。
ぽっかりとあいた空には戦乱の馬の蹄や鬨の声、義経主従一行の無念までもが浮かび上がってくるようです。
昼間は観光客の姿が絶えない毛越寺庭園も、開門前のひとときは宿坊宿泊者だけに開放されます。広大な空間を独り占めに、歴史の武者達に想いを馳せるのも悪くはないものです。
これは一つの例ですが、宿坊で楽しめる名庭・名園と呼ばれる庭は、枚挙に遑がありません。
日本庭園に自然の優しさやロマンを感じる方や、じっくりと邪魔をされずに写真に収めたい方は、宿坊に泊まりながらの庭園巡りもおすすめできるテーマです。
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